山縣亮太の父親はニシヒロの社長!実家のスポーツ店や家族情報も!


東京オリンピック男子100mの代表に内定した山縣亮太さん。
2021年6月6日には、100m9.95の日本新記録をだし、絶好調です。
そんな山縣亮太さんの父親は、スポーツ店ニシヒロの社長す。
今回は、山縣亮太さんの活躍を誰よりも応援している父親と家族をご紹介していきます。

田中希実が男顔と言われる3つの理由!画像田中希実が男っぽいと言われる理由3選!眉毛とハーフ顔が原因だった? 

山縣亮太の父親はニシヒロの社長!

山縣亮太の父はニシヒロの社長画像
山縣亮太さんの父親は、広島県にあるスポーツ用品店ニシヒロの社長です。
名前は、山縣浩一(やまがたこういち)さん。
年齢などは明らかにされていません。
でも山縣亮太さんが29歳(2021年現在)ということを考えると、1960年ごろの生まれではないでしょうか。

山縣亮太の実家は40年以上続くスポーツ店

山縣亮太の父はニシヒロの社長(ニシヒロの店舗画像)
ニシヒロは、昭和49年創業の広島にあるスポーツ用品店です。

商号:株式会社ニシヒロ
住所:広島県広島市西区南観音8-12-20
創業:昭和49年
代表者:山縣浩一
社員数:20名

 
HPの名前を見るとおそらく山縣亮太さんの祖父が創業したのだと思われます。
山縣亮太さんの父親・浩一さんは、2代目社長ですね。
ニシヒロでは主にサッカーやバトミントンなどの用品を取り揃えているようです。
学校の体操着も取り扱っており、ユニフォームのデザインも手がけています。
本社や店舗移転もしていて、会社もどんどん大きくなっているようです。

父親は山縣亮太の活躍を応援!

山縣亮太の父はニシヒロの社長画像
社長業で忙しい山縣亮太さんの父親・浩一さん。
でも、山縣亮太さんの応援は欠かしません。
2021年6月6日、山縣亮太さんが100m9.95の日本新記録を出した時も、父親・浩一さんは観戦していました。
日本新の快挙を成し遂げた山縣亮太さんに対して、

決して恵まれた体格ではないけど、すごい理論的なものが確立されている

 
と語っています。
山縣亮太日本新記録を出したときの画像
父親・浩一さんは、山縣亮太さんに対して、陸上で怒ったことはないそうです。
どんどん記録を伸ばしていった山縣亮太さんに対して、褒め続けることを意識していたと言います。

足が速くてどこに行っても褒めてもらえた。褒めてもらえると本人は嬉しくなって頑張るんです。試合に出て一番になって、ほとんど負けることがなかった時は、タイムがいいか悪いか僕には判断基準がなかったんですね。だから『よかったね』って褒めることはあっても、怒ったことがないんですよ。だから、陸上を嫌いにならずに済んだ。
引用元:THE ANSWER

山縣亮太さんは陸上において、父親に幼少期からたくさん褒めてもらえたのですね。
褒められてより頑張れたからこそ、現在のように記録を出し続けることができるのかもしれませんね。

山縣亮太の母親は梅酒好き

山縣亮太さんの父と母の画像
山縣亮太さんの母親は、山縣美津恵(やまがたみつえ)さんという名前です。
父親の浩一さんより3歳年上です。
山縣亮太さんの母親・美津恵さんの情報は残念ながらほとんどありません。
山縣亮太さんが、

梅酒が好きな母親に初任給で梅酒を買ってあげたい

 
と語っていたことから母親・美津恵さんは梅酒好きという情報がありました。
2020年6月23日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で山縣亮太さんが取り上げられました。
山縣亮太さんは、未熟児として生まれていたことが放送されています。
母親である美津恵さんはとても心配されたことでしょう。
そんな山縣亮太さんが、日本新記録を出すほど陸上で活躍しているのは、母としても誇らしいのではないでしょうか。

山縣亮太が陸上選手になったきっかけは兄

山縣亮太の画像
山縣亮太さんには、2歳年上の兄がいます。
名前は山縣昌平(やまがたしょうへい)さん。
山縣亮太さんが陸上を始めたのは兄がきっかけでした。
兄・昌平さんが陸上の大会で、8位入賞の大きな賞状をもらってきました。
その賞状を羨ましく思った山縣亮太さん。

同じ大会に出て自分も賞状をもらいたい

 
と思ったそうです。
山縣亮太さんが広島のジュニアオリンピアクラブに入ったのが小学4年生の時。
なので、山縣亮太さんが陸上を本格的に始めたのもこの時期ですね。
小学生だったお兄さんの賞状が、山縣亮太さんを陸上の道に進ませるきっかけになったのです。

山縣亮太のプロフィール

山縣亮太の画像
山縣亮太さんのプロフィールをご紹介しますね。

名前:山縣亮太(やまがたりょうた)
生年月日:1992年6月10日
出身地:広島県広島市
身長:177cm
体重:74kg

 
山縣亮太さんは小学生の頃からサッカーと野球をしていました。
その頃からメダルや賞状が大好きだったそうです。
陸上を始めたのは小学校4年生の頃です。
初めて出場した広島市の陸上大会で優勝し、

自分が勝てる種目で勝負したい

 
と思った山縣亮太さんは、走りを極めることにしました。
中学、高校、大学と陸上を続け、数々の大会で優勝しています。
山縣亮太さんのオリンピック出場は、2021年の東京大会で3回目です。
ぜひオリンピックで大好きなメダルを取って、日本を沸かせて欲しいですね。